ミハエラと申します。現在は茨城県つくば市に住んでおり、ルーマニア語/英語を教えます。また翻訳・通訳の依頼もお受けいたします。


by Mihaela_Romania

カテゴリ:日々のつぶやき( 7 )

正義感と責任感

正義感と責任感。
言うまでもなく、これらは人間にとって非常に重要なことです。
正義感のない人は、自分が得をするためなら「悪いことをしても、
見つからなければよい」と考え、利己的になりがちです。

また、責任感のない人は、自分を守ること、面倒から逃げることばかり考え、
自分の怠惰が他人に迷惑をかけているという意識がありません。
正義感と責任感は、一人前の大人として認められるための最低条件でしょう。

しかし、これらは、「確固たる自己」が形成された結果として、自然に生じるべきものです。
「自己」がなく、正義感や責任感だけが強い人は、ただ「堅苦しい人」と思われるだけで、
かえってまわりからうとまれ、また自分自身も苦しむことになってしまいます。

自分に自信のない人が、やみくもに正義感や責任感で自分を縛りつけるということは、
よくあります。

自己をもたない人にとって、正義感や責任感とは、「他人から批判されないための防具」であり、
また、「他人を批判するための武器」なのです。

自分は、会社で与えられた仕事を責任をもってこなしているのに、まったく報われない。
母親として、妻としての努めをきっちり果たしているのに、夫は評価してくれない。
責任感の強い人ほど、激しいストレスに悩まされてしまいます。
何をするにも、自分から進んでしているのではなく、
「やらされている」という意識しかないのです。

もちろん、自分に与えられた責任を果たすことは、それだけをとり上げて考えれば、
けっして間違ってはいません。絶対に正しいことです。
しかし、理屈では正しいことだからこそ、始末が悪いのです。

「自分は間違っていないのに、なぜ報われないのか」という被害者意識、
他人への怒りに悩まされてしまいます。

そこで、原点に立ち返り、「何のための責任感か」ということを考え直す必要があります。
責任感それ自体は正しいことなのですから、改めることはありません。
しかし、責任感とは、「自分自身への誇り」の自然な結果として生じるものなのです。
あくまで、心豊かに生きるためのものです。

自分の不安をごまかすためのものでも、他人を批判するためのものでもありません。
自分にとっても社会全体にとっても有益であるから、責任感というものは存在するはずです。
責任感がかえって自分を苦しめるなら、やはりその動機が間違っています。

自らの意志で責任感を「もつ」のではなく、「もたされている」という意識しかない人は、
結局、「自分だけが我慢している」という不満を抱いてしまいます。
はっきりとした自我に目覚め、自分に誇りをもっている人は、
むしろ正義感や責任感というものは、ことさらに意識することなく生きています。

責任感はしっかりと自分の中にとけ込んでいるので、
「我慢している」などという意識はさらさらないのです。
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by mihaela_romania | 2010-09-27 01:15 | 日々のつぶやき

吉野市について


白い花が霞のように山をおおう春には桜を求めて花見客が、
緑深まる夏には涼を求めて川遊びの客が、
四季を通じて興趣の尽きない自然を求め、
たくさんの人が私たちの町を訪れます。

四季折々の風情をみせる「吉野」の豊かな自然は、
歴史の舞台となり、文化を生み、私たちの暮らしを育んできました。

丁寧に育てられた吉野杉、吉野桧。色、香り、
木目の美しさは比類なきものであり、
加工された製品、また、その端材から生まれる割り箸は、
世界一と言っても過言ではないでしょう。
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by mihaela_romania | 2010-09-26 21:39 | 日々のつぶやき
 今度4年前に制作されたドラマを見ることになりました。川端の小説「古都」は読んだことがあるので、あらすじはだいたい分かるけれども、どんなふうに映画化されたのかが楽しみです。とりあえず、朝日テレビのページ―からの一言。
  昭和30年代前半の古都・京都を舞台に、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描く。佐田千重子(上戸 彩)は、京都の呉服問屋「佐田屋」の一人娘。父・太吉郎(夏八木勲)と母・しげ(高橋惠子)に慈しまれ大切に育てられてきた。千重子には幼馴染でもある許婚がいた。同業の大問屋「水木商店」の次男・水木真一(小栗旬)で、ゆくゆくは佐田屋の婿養子となって、千重子を支えるつもりになっている。
  その日、千重子は真一と出かけるため、父の描いた柄の着物を着た。母は、若い娘にしては地味すぎるというが、父は嬉しそうだった。真一と清水寺にお墓参りに行った千重子は、子供のころから胸に秘めていた疑問を口にしてしまう。本当に自分は佐田の家の子供なのだろうか。幼い頃からの小さな疑いが積み重なって、なぜか自分は佐田の家の子供ではないような気がしていた。
  帰途、和菓子屋に入った千重子は、店内で幼馴染みの真砂子(北川弘美)と出会う。「久しぶりやなぁ」と言う千重子に、真砂子は「昨日、北山杉を見に行かはったやろ」と口にする。そこで見かけたというのだ。真砂子の言葉に千重子は困惑を覚える。
  そのころ、太吉郎としげは深刻な顔で話し合っていた。千重子に店を継がせていいのだろうか。まして千重子は実子ではない。千重子には気取られまいと注意してきたが、彼女は捨て子だった。二人は千重子を実の子と思い、慈しみ育ててきた。だが、自分たちに実子ではない千重子の将来を左右するようなことを勝手に押し付けてしまっていいものだろうか。二人は、千重子が血を分けた親子ではないのかと悩んでいることなど知る由もなかった。ある日、太吉郎は自分の描いた図案で娘の帯を作ろうと、手織機「大友」を訪ねていた。
   太吉郎の依頼に主人の大友宗助(石井慎一)は、店一番の腕の持ち主である息子の秀男(渡部篤郎)に織らせましょうと申し出る。ところが当の秀男は、お嬢さんの帯にしては寂しすぎると言って、太吉郎を鼻白ませる。やがて千重子は、真一とは違う大人の雰囲気を持った秀男に心が和らぐようになる。そして祇園祭の宵山の日、そんな知恵子の前に、双子の妹・苗子(上戸彩・二役)が現れる。

【以上、テレビ朝日広報資料より引用】

内 容
 背景は昭和30年半頃。京、室町の老舗呉服屋の一人娘、千重子は、両親の愛に見守られ幸せに暮らしています。しかし、千重子は捨て子でした。そして、祇園祭の人混みの中で自分とそっくりの女性に出会います。この女性こそ、双子の苗子です。苗子は捨てられはしませんでしたが、両親は早く死に、北山杉の奉公人として働いています。捨てられた方が、愛情いっぱい裕福なお嬢様に育っているという運命の不思議です。

  お互いが生き別れた双子だと知り、まだ「身分の違い」が残っている時代ですが、お互いが最後まで、相手を気遣い優しく思いやります。
 
  この二人の出会い、愛情と哀しみを間に描きながら、小説の中には、昔ながらの風習やお祭りが詳しく解説され、京都通になるくらい京の雑学が増えます。葵祭り、祇園祭、時代祭り、大文字焼き、鞍馬の火祭り・・・、季節のお祭りを追いながら物語は進みます。
『八月十五日の大文字は、盆の送り火である。夜、松明の火を投げ合って、虚空を冥土に帰る精霊を見送る習わしから、山に火をたくことになったのだという。東山の如意ヶ獄の大文字が「大文字」なのだけど、じつは五つの山に火がたかれる。金閣寺に近い大北山の「左大文字」 ~~~ 上嵯峨野の鳥居形、合わせて五つの送り火がともされる。その間40分ほどは、市内のネオン、広告塔も消される』  本文より

 また、日常の暮らしの中に京の老舗店が盛り込まれています。帯の図柄を考えるために嵯峨の尼寺にこもっていた父親に、千重子が届ける豆腐は、「森嘉」の豆腐。ここは、今でも行列ができるほど人気の豆腐屋さん。また、牡丹湯葉とやはた巻きを買いに行ったのは、御池通りの「湯波半」です。

『比叡と北山は、その色に押されて濃い紺ひと色であった。湯葉半では、牡丹湯葉とやはた巻きが出来ていた。
「お越しやす、お嬢さん。祇園さんで、いそがしいて、ほんまの古いおなじみさんだけで、かんにんしてもろてます」 ~ やはた巻きといふのは、ちょうど、うなぎのやはた巻きのように、湯葉のなかに、ごぼうを入れて巻いてある。牡丹湯葉というのは、ひろうすに似ているが、湯葉の中にぎんなんが包み込んである』 本文より

運命に翻弄される二人の主人公が、京都ならではの歳時記の中を、見事な京絵巻物のように生きてゆくのです。
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by mihaela_romania | 2010-02-26 19:41 | 日々のつぶやき
  今日は翻訳の仕事でワインについて調べることになった。ワイン飲酒の色々な面が気になっていたので、ネットで検索したら、こんなのが出てきました。

・”飲める””飲めない”は生まれつきのもの 
少量の酒でも顔が赤くなり、動悸や頭痛がする人がいます。このような人では、アルコールの代謝産物であるアセトアルデヒドを速やかに分解する酵素のはたらきが、生まれつき低いのです。そのため、すこしお酒を飲んでも血液のアセトアルデヒド濃度が高くなります。アセトアルデヒドは、アルコールそのものよりはるかに毒注が強く、皮膚の血管を拡張して顔面を紅潮させるだけでなく、いわゆる悪酔いの原因となります。

・イッキ飲み飲酒の無理強いは要注意
 日本人の約半数は、アセトアルデヒドの分解がうまくいかない人たちです。顔がまっ赤になっても、多少は飲酒可能な人もいますが、全くお酒を受けつけない人もいます。いわゆるイッキ飲みや、飲酒の無理強いによって、急性アルコール中毒をおこす危険があるので注意が必要です。
 
 私も普段飲まない人ですが、どっちかというと、たぶん「飲めない」タイプかも。でもワインはグラスで2杯ぐらいは飲めるとおもうよ!
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by mihaela_romania | 2010-02-12 06:39 | 日々のつぶやき

吹雪の中のブカレスト

  冬が終わりかけていると思ったら、さらに本格的になってきた。昨日から雪が降りだし、今朝窓越しから外を見たら、すごく積もっていた。こんな冬のとき、外に出られないし、家の中でごろごろしているだけです。
 今日は新しい本を読み始めた。準之助吉行の「夕暮まで」と言う本。
  ネットででこんなレビューが見つかった。
  
  「中年男性と若い女性の逢瀬。吉行のテーマである男性の性への向き方と、家族への向き方と、そして飽くなきつづく日々の生活への倦怠感と恐怖。短い文章の連続で、長編というほど長くもない。緩慢で、全体的に弛緩してて、読むこと自体はすごくあっさりしてる。ただ吉行の人間観察の視線が、ほんのちょっとした行間からときおり垣間見えて、その感情の機微が読後感をある種異様な気持にさせる。ふしぎな作品かなって、思う。」
「主人公のほうは四十代半ばといったところで、女性のほうは二十二、三歳か。この女性が頑なに処女を守り抜こうとするのは、なんともおもしろい描写かしらね。処女を喪わしめる行為以外はことごとく受け容れながら、しかしそれでも処女だけは守ろうとする。行きずりからの関係の、中年男性とはそこまでの関係に行くのは徹底的に拒絶する。しかし処女以外はどうともよい。ここらはなんとも、むずかしい問題かしらね。」
「処女喪失は大なり小なり、その人にとって人生の看過できない一事件である、かな。‥ただここの、処女にまつわる恋愛の問題ってあまり公的には語られない。処女がどうこうだとか、女性はこうあるべきなのだーとか、そういった感じの瑣末の議論というのはいつの時代でもあるものだけど、でも人と人との関係性においての処女っていう、恋愛と性のからみ合う領域の課題に、真正面からとり組めた人というのは、そういないのでないかな。それは処女というのはいろいろ厄介な問題があるみたいで、そしてその厄介さは無意識のもぞもぞとからまり合う部分が、意識上にのぼることがあんまりないことが関係してるのかなって気がする。フェミニズムも、この手の問題には十分に答えてないようにみえるし、この「夕暮まで」という作品は、まさにそういった処女性の問題に老練な男性が向いあう、そしてそのことに恐怖する小説だっていっていいと思う。‥だからこの作品はひどくざらっとしてる。それを美しい、なんていってもいいのかな。美しい場面がいくつも挿入された小説だけど、その美しさの狭間に吉行の孤独の視線がある。その視線が、私をしてひどく奇妙で、落ちつかない気分にさせる。」
「女性が処女を喪失する場面は、直接的には書かれてないのよね。女性が処女を喪った場面、そしてそれを破った男も、この小説にはつよく登場しない。ただ中年の男性の眼差しがある。その眼差しが、この作品を貫く、女性と性の問題そのものなのでしょうね。」
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by mihaela_romania | 2010-02-08 00:39 | 日々のつぶやき

理由あるのかなあ

考察する日々・・・物事は理由があって起こるんだと思うけど、でも起こったから理由を考えるんだ、とも言えるよね~。
最近こうやって日々のささやかなことについて考えることが多い。。。 ^_^
もう人生を生きるよりも人生を考察するようになったかなあ ^^、、、
ちょっとさびしい \\//\\
これも年のせいか。。。 --_--
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by mihaela_romania | 2010-01-10 10:46 | 日々のつぶやき
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今日は、クリスマス。家族や恋人、友だちなどと楽しい夜を過ごす人も多いでしょうね。そのクリスマス、食卓にはケーキといつもより少しだけ豪華な料理が並ぶかも。そしてプレゼント。幼い頃、親からは「いい子にしていればサンタクロースが枕元にプレゼントを届けてくれる」と教えられ、本気でその言葉を信じて朝を待つ。あの頃がとても懐かしいなあ。
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サンタクロースは本当にいるのでしょうか。多くの人は小学校の低学年ぐらいまではサンタクロースを信じていると思います。しかし、今考えるとそれが違うことを知ると言えます。子どもの時は親が、恋人のいる女性には彼が、結婚したら夫が、子どもがいる人は親である自分が、と年齢とともにその存在が変わっていくこともあります。どうやらサンタクロースは身近な人のようです。
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だが、それは誤りです。人の心のなかにちゃんと存在しています。純粋な心を持つ子どもだけに見えますが、世の中のことを知り過ぎ、嫌なことまで見えてしまうせいか、残念ながら大人には見えなくなってしまうようです。さて、今夜はどれだけの人がサンタクロースに会えるのでしょうか。それとも昨夜のイブにもう会えたかなあ。

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by mihaela_romania | 2009-12-26 05:19 | 日々のつぶやき